僕は外国送金をすることがあるので、銀行の相談窓口に行く機会がある。
外国送金の手続きでは、1時間以上待たされることはザラにあるから、つい先日も、何とはなしに、銀行で働く人たちを眺めていた。
そのうち、ちょっと茶目っ気を出して、一つ、銀行員の仕事を観察してみようと思いたった。
以前、銀行に勤めていた人から、銀行の仕事というのは、1円でも計算が合わないと、家に帰れないと聞いたことがあった。
それはそれは、神経を使う仕事に違いない。
観れば、皆さん、あまり雑談するということもなく、黙々とパソコンに向かったり、忙しくデスクとデスクの間を行きかったりしている。
ふーむ、正直つまらなそうな仕事だなー。給料はいいんだろうから、みんな我慢してやってるのかな。
しかし、いくら仕事とはいえ、楽しみが一切ないということはないはずだ。
昼ご飯を食べる時だけ、さらには休日だけ、はたまたリタイヤした後に人生の楽しみが待っている、と考える人は少ないだろう。
皆さんの様子も、そう苦しそうという風にも見えない。
そうしているうちに、ふと、ある女性行員の仕草が目に留まった。
持っていたボールペンを、額のあたりまで上げて、
うん、うん、うん、
とうなずいている。
このしぐさから想像できる彼女の心理は、二通り。
「いけない、数字が合わない、何とかしなきゃ。」
または、
「そうそう、私は大丈夫。ちゃんとできてるわ。」
実際に彼女から伝わってきたエネルギーは後者の方だ。
そうだ、銀行の人たちがやっているのは、いわば、正確さを楽しむゲームなのだ。
もしくは、複雑な状態をコントロールする快感を味わっているのだ。
コントロールできている状態というのは楽しいものだ。
そう思うと、行員と行員の目が合って、一言二言、言葉を交わすときは、
「あなたもちゃんとコントロールできてるね。」
「あなたもね。」
とうなずきあっているように見えてくる。
こういう喜びをみんなで共有しあっているのが、銀行という職場なのだ。
という答えが出た。
してみれば、
失敗する状況を是として、その状況にとどまりながら最善解を導き出そうとする、美の追求の世界の喜びとは、かなりあり方が違う。
しかし、まあ、どちらも喜びである事には違いはない。
2021/6/6
会話の後 2008 御影石
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