「教師というものは研究をしなくてはなりません。」
とは教員の間ではバイブルともいわれている、大村はま著「教えるということ」の中の一節。
ちなみにこの研究というのは、教え方の研究とかいうことだけで言っているのではない。
その理由はなにかというと、子供というものは成績が良いとか悪いとか、頭がいいとか悪いとかに関係なく、「伸びたい」という気持ちを強く持っているから、とはまさんは言う。
教師が研究をするということは、自分がわかりたい、伸びたいという気持ちがあるということがあって初めてできること。このような気持ちを持って、子供と同じ世界にいないといけないというのである。
味わい深い言葉だな、と思う。
僕も、美大の非常勤講師を務めさせてもらってから5年になるが、そのおかげで、それまでより勉強するようになった。
実は講師を引き受けた時は、これまでそれなりに重ねてきた経験を、学生に伝えればいいと思っていた。しかしその考えは教え始めてからすぐに吹き飛んでしまった。そんなに甘いものではなかった。それからは試行錯誤の日々である。教える立場にある人は、日々勉強しなくてはならないということだろう。
はまさんの言葉をもう一つかみしめたい。
「精神修養なんてとても駄目で、自分が研究し続けていなければなりません。研究の苦しみと喜びを身をもって知り、味わっている人はいくつになっても青年であり、子供の友であると思います。それを失ってしまったらもうだめです。ー中略ー 伸びたい希望があふれていることです。私はこれこそ教師の資格だと思います。」
教えることの苦しみと喜びをかみしめる。
25歳ころに実践したラファエロの模写
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