最近では、大統領選挙などで世界の注目を浴びたアメリカ。
この国では、永住権(グリーンカード)やそのほか、仕事ビザ、学生ビザなどがないと、入国しても、滞在は3か月に限られる。
27歳の時に、新天地を求めてアメリカに渡ったものの、一年近くは、3か月国内に滞在しては、一度日本に帰って、アメリカに入国しなおすという生活を続けていた。その後、マーサさんと結婚してグリーンカードを取得してからは、アメリカ国民と同じように生活することができるようになった。
僕が、“奈落の生活”を経験したのは、そのような状況下で、日本に一時帰国した時のことだ。
アメリカでの生活費を稼ぐために、日本にいる間はアルバイトをしようと思った。手っ取り早く日銭を稼げるのは、土木現場の軽作業員として働くことだった。
どこかの駅で見つけた、働き手を募集するチラシを頼りに、向かったのは、千葉県の船橋市。新宿駅からJRに乗って船橋駅で降り、15分ほど歩くと、宿泊所が一緒になった事務所があった。
宿泊所には、数人の男たちが “住んで” いた。
数年前まで、土木会社を経営し、従業員も30人以上雇っていたが、自ら起こした事故がもとで、会社を倒産させてしまったという70歳ほどの老人。
かつてある会社の専務をしていたが、事情があって、今はここにいるという50がらみの男。
やたらと気が回る、30歳くらいの太ったヤンキー風兄ちゃん。 最初はとても面倒見がよかったのに、少々狂信的な宗教団体にぼくを誘い、断られたら、急に態度が冷たくなってしまった、これも30歳くらいの真面目そうな男。
そして、ギャンブルだけで食っているという、この宿舎の管理人である。
僕があてがわれたのは、会社をつぶした元社長との相部屋だった。元社長には、やっぱり何となく貫禄があった。話も良くしてくれた。聞いているうちに、僕が今いる場所は、社会の底辺であることを知った。
元社長の、ここでの唯一の楽しみは、休みの日に、着飾って街に出かけることだった。高そうなスーツ、ピカピカのカバンや靴、アクセサリーを身に付けて。
毎朝、僕らがワゴンで向かったのは、東京の地下鉄工事の現場だった。仕事内容は様々で、つまりは雑用だ。それでも、どれくらい高さがあるのか、底が見えない鉄骨の上を、歩かなくてはならなかったし、時には、噴き出した地下水を、いろんな手を尽くして止めたこともある。
そんな慣れない現場でも、いろいろ気を使ってくれたのが、新興宗教の男だった。しかし、デブ男が言うには、宗教男は、とても”わがままな奴”なのらしい。
ちなみに、グループのリーダーシップをとっていたのは、50がらみの専務男だ。専務男は言った。
「鉄骨の上に乗って怖さを感じなくなったら、危ない兆候だ。」
飯を食う時は、ギャンブル男も一緒にいた。
「俺が、ギャンブルだけで食うようになるまでには、相当な努力があったのだ。人と同じようにゆっくり寝ることなんてなかったんだ。」
ゆっくり寝る暇もなく働いていたという意味だ。
このギャンブル男もいい年だったが、慧眼というか、確かに何かをつかんだ自信というか、そのようなものが言葉の端々に漂っていた。とてもごつい顔をしていた。
ここでは、すべてが、ちょっとへんてこだったが、なにかこう、愛すべきものがあった。
僕は、仕事が終わって飯を食ったら、相部屋に戻るのもなんとなく気が進まず、毎晩、30分かけて、一番近いファミレスに歩いて行った。宿舎の周りは閑散としていて、何もなかった。
ファミレスでは、決まって白ワインを頼み、一時間ほど、神田の書店街で求めた、ゲーテの格言集や「若きウエルテルの悩み」などを読んだ。それからまた、歩いて帰って、寝床に潜り込んだ。
一月が過ぎて、ここを去ることになった朝、あいさつした僕に、管理人のギャンブル男が言った。
「お前はもう二度と、こんなところに来るんじゃないぞ」
その言葉に、何やら親のそれにも似た情を感じた。
駅のホームに立つと、あそこでの生活が、夢のように感じられた。
そこは、奈落ではあっても、決して地獄ではなかった。
2021/5/15
(奈落は仏教用語で、地獄と同じ意味ですが、他にも物事の最後の所。どん底、と言った意味で使われることがあります。ここでは後者を取りました。どん底の生活と言ってもよかったのですが、言葉の感じから奈落の生活としました。地獄という言葉の解釈は読者の皆さんにお任せします。文中、夜の読書の場面が出てきます。当時、僕にとって、ゲーテは少々難解な本でしたが、この読書が、ここでの生活に骨格のようなものを与えてくれたようにも思います。後々この体験を、ショートムービーのように思い出すことができたのも、そのおかげかもしれません。)
交差する夢 2012年 黒御影石
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