スピリチュアリストの江原啓之さんが著書の中で、「仕事を自分のアイデンテイテイだと思っている人は多い。」とおっしゃっていた。
なるほど、仕事人間と言われる人ほどそうかもしれない。ましてや自分のオリジナリテイーを出したいと思って仕事をしている、芸術関係の人たちなどは、特にそう思っている可能性が高い。
私も彫刻なんかやっているが、自分のオリジナルを作りたいと、呻吟してきたものだ。しかしまあ、オリジナルというものはなかなか難しいというのが正直な気持ちだ。
それでも自分からこの仕事を取ったら、何も残らないんじゃないかという心情は、裏を返せばちょっとナルシズムっぽくて自尊心をくすぐったりもする。
しかし、こういうものに縛られているなあ、という漠然たる気持ちもどこかにあって、心が自由にならない感じは確かにあった。
江原さんも、自由にならないということはそれは執着ということだ、とおっしゃっていたが、言われてみると、頭をぽこんと殴られて少し視界が開ける感じがしてくる。
アトリエで、昨日読んだ本のことを思い出しながら、そんなことを考えていたが、並べてある作品を見ながら、
ふと心の中で言って見た。
(仕事は僕のアイデンテイテイにあらず)
するとあら不思議、作品を見る僕の視界がちょっとクリアになった気がした。そして
(なんだ、結構オリジナルな形をしてるじゃん。)
と心がつぶやいたのである。
うーん、これはいい。なんか気分も良くなったし。呪縛が取れたのかな?
少し考えてみたが、これは認識する対象に対して一歩距離をとれたということかもしれない。視界が広がったというか。
江原さんの言葉で言えば、執着が取れて少し自由になったということになるのだろう。
とらえる視点が変われば、同じものでも違って見える。
まだまだ楽しい仕事が出来そうだ。
2021/12/21
和紙行灯 2002 八女和紙と竹ひご
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