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ある学生との対話


学生: 高校生の時に、ものすごい雲を見たんですが、それが忘れられません。

    部活のテニスをしていて、地面や、ボールの匂いが強く感じられました。その時に    見た雲は、デイテールもはっきり見えて、本当に美しく見えました。 


教師: それは君にとって、ある種の宗教体験に近いものだね。君はその雲を通して自分の    中に入ったんだよ。


学生: それから雲の写真を撮っているんですが、あの時以来、全く雲の見方が変わってし    まいました。逆に言うと、そういう風に見えないと満足できないんです。


教師: それはいったん開いた窓が、全開じゃなくても、ずっと開いているということだ     よ。

    少なくとも君がそのように努力しているよね。

    雲を見るといい気分になるだろう?


学生: 自由制作の作品のテーマを考える時に、この雲が一番に思い浮かびます。


教師: 君のような原体験みたいなのがあって、それを志向していくのは、作品作りでは、    当然あっていいし、王道と言ってもいいよね。内面に向かっていくんだから。


学生: 今、自分が趣味のようにして撮っている雲の写真を、作品にできるんでしょうか?


教師: 自分が作品にすると決めれば、それだけでかなりのパワーが入るよ。

    作品というのはそれ自体が思想になっていなくてはならないね。作品は形のない思    考の塊を素材に翻訳したものなんだよ。例えば雲を見て感じたことを、文字にあら    わせば、詩になるかもしれない。彫刻家なら石とか木であらわすよね。画家だっら    色やタッチでしょう。文字にする人だってさ、「綺麗な雲だった」、だけじゃ満足    しないでしょう。自分が感じたものをあらゆる手を使って表そうとするよね。レト    リックとかさ。実際に感じたものがあるからそれが出来るのさ。 作品を作るとい    うことは、断固として自分が感じていることを、素材の上にあらわそうとする意思    を持たなくてはならないんだよ。文であらわす人の素材は、文字だよね。

    写真だってさ、雲を見て感動しているのに思った通りにはなかなか撮れないでしょ    う?


学生: 確かに。


教師: なんで表現したいと思うかと言えばさ、それは自分が感じていることを形にするこ    と自体に喜びがあるからなんだと思うよね。さっきも言ったように、作品というの    はもう思想そのものなんだよ。形があるからない時より強いんだよ。


    作った本人は出来上がったものを見て、またいつでもその感動に戻れるじゃない。    今度は他人もその感動に連れてくることができるからね。

    感動というのはね。自分の中に入る体験なの。君の作品を見て感動する人は、君の    作品を通して彼ら自身の内面に入ることができるんだよ。


    いろんな素晴らしい写真家の写真を見てごらんよ。





「雲」 2011年 大理石 流木





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